この記事はワードプレスを始める前に、noteで一番熱を入れて書いた記事です。
東京で英語コーチとして勤務をしている2021年12月時点での自分の考えをまとめたものです。
1億年ぶりくらいにnoteを更新してます。
英語(外国語)教育の最先端は英語コーチングであると信じ、コロナで大変な状況の中ベトナムから帰国し、誰も知り合いがいない東京にスーツケース一つで飛び出し、約8か月。
仕事は忙しいものの、やりたかった英語コーチングの中身に触れ、自分が理想とする英語教育パッケージに必要な要素としてのSLAとテクノロジーにも関わることができており、非常に充実した毎日を過ごすことができています。
今回noteを書こうと思ったのは、今までと同じで自分の中での備忘録としての位置づけです。
ここまで約8カ月、ひたすら仕事を楽しみながらやってきましたので、その中で自分にとって見えたものや新たに生まれた疑問などを今後振り返ることができるように記事を書いてみようと思いました。
文字量がとんでもないことになりましたが、あえてこれを分割して公開することはしません。この一つの記事が今の私の思考であるからです。
だれか読んでくれる人がいるのだろうか・・・
ぜひスキやコメントくださいませ。
目次
英語コーチングがなぜSLAの最先端なのか
まずは改めて当初感じた内容、すなわち自分がこの業界に飛び込もうと思ったきっかけをまとめます。
英語教育に携わり、大学院でTESOLも学びましたが、教えるという行為には限界がある。それを感じたのがそもそものきっかけです。
英語(外国語)学習という広いくくりの中で、そもそものゴールは何かというと、学習者の目標達成であるのは間違いないと思います。目標と言っても、当然千差万別ではありますが、英語教育者としてその各々の目標達成に貢献したい。そして、英語を学んだことによって新たな可能性を見つけてほしい。そんな思いで自分はいます。
それに対して、塾や高校、英会話スクール、企業、オンラインや家庭教師などありとあらゆる教育形態で教えてきた中で感じたことは、教えることの限界でした。
いわゆる授業、レッスンはその時間に価値があり、どれだけいい時間を提供できるかに価値があるように私は感じました。うれしいことに、今まで縁あって担当した方々からはいいコメントをいただくことも多く、自分にとってはやりがいや自信につながる一方で、それが英語教育者としての自分の目的化していないか、すなわち、そもそも学習者の方々に本当に目指していた目標を達成してもらえているのか疑問に思いました。教えていた立場として、確かにレベルの向上、特に資格試験など定量化できるものはわかりやすく見える部分がありながらも、当然そうではない場合もあるわけです。さらにいえば、資格試験のスコアから目標達成できなかったという現実にも当然ぶち当たります。
ここで改めて、英語(外国語)学習における学習者の目標達成に必要な要素は何だろうかと考えるようになりました。
答えは超シンプルです。
どれだけ学習時間を費やせるか。そして、目的にあった内容に取り組めるか。これに尽きます。ある意味で責任放棄ととられるかもしれませんが、結局勉強している学習者自身の努力なくして成果はありえない、というのが英語教育者として、そして、私自身が純ジャパとして学んできて感じている一つの結論です。
しかしながら、教えるという職に就いていたときに、自分がどれだけいい授業をするか、という点にばかり目がいっており、本当の意味で学習者をフルコミットさせることができていなかったと思いました。わからないところをわかるように解説をしても、無限にわからないところというのは出てくるわけで、学習者が学習を継続していけるような働きかけはあまり意識していなかったというのが本音です。
もちろん、超一流のカリスマと呼ばれる講師の皆様は違うとは思いますが、少なくともそれなりに教える経験を積み、実績を積んだ人間として感じたのは教えることの限界でした。
そんなとき、英語コーチングという言葉が日本で流行っているらしいと、ベトナム滞在中にニュースで耳にしました。2019年くらいだったと記憶しています。
英語を教えないことを謳っているスクールもありますね。学習時間の管理やモチベーションの維持、そして個人に合わせたカスタマイズなど、徹底して『環境は整っているので、頑張るのはあなたですよ!でもサポートしっかりします!』というメッセージを大ぴらに伝えているのが英語コーチングだと私は理解しました。端的に言えば、量と質のマネジメントをするという内容です。
ちょっと乱暴な言い方ですし、コーチングという言葉がどれだけ英語教育に結びつけられるのか疑問に思いながらも、教える立場で10年以上ずっと生活してきた私にとっては衝撃的な内容であり、非常に興味を惹かれるものでした。
学習者に徹底的に英語学習にコミットさせる。学習時間の確保はもちろん、何をどうやってやるべきか自分で判断できない学習者にはサポートもする。長くなりましたが、これが英語(外国語)学習における最先端メソッドだと感じた理由です。これらは入社前の私が抱いていたイメージであり、その内容は面接でも伝えています。
そんなこんなで今の会社である老舗英語コーチングスクールであるプレゼンスへの入社に至りました。
英語コーチングの実情とは?
ここからは実際に業界に入り、感じた内容です。
率直に、英語コーチングという言葉は非常に誤解を招くというか、同じ定義で使われていないため注意が必要だと感じました。
コーチングとはICFによると以下のように定義づけられています。
コーチングとは、思考を刺激し続ける創造的なプロセスを通して、クライアントが自身の可能性を公私において最大化させるように、コーチとクライアントのパートナー関係を築くことです。
https://icfjapan.com/coaching
対話を重ね、クライアントに柔軟な思考と行動を促し、ゴールに向けて支援するコーチとクライアントとのパートナーシップを意味します。
コーチングの定義も世の中を見渡してみると一つではないですが、いずれにしても共通しているのは対話を大切にし、コーチングの技術(傾聴、質問、承認など)を使いながらクライアントの目標達成を支援するというものです。
その根底にある考えとして、クライアントの悩みの答えはクライアントが持っています。つまり、コーチは何も教えません。気づきを大切にし、そんな気づきが行動変容につながる。内省を自分では気づかない視点も交えながらやっていく、というようなイメージでしょうか。現在コーチングスクールでコーチングを学んでいる身ですので私の解釈にズレがあるかもしれませんが、これがいわゆるコーチングだと私は理解しています。
この時点で、コーチングというものをまるっとそのまま教育に当てはめるのが難しいことがわかります。
そもそも英文法でどうしてもわからない学習者に対して、「どうして今自分がわからないと思う?」「どうやったらそれは解決できそうかな?」と問いかけることにあまり価値があるとは思いませんし・・・。ただ、直接的に答えを教えるのではなく、そのヒントになるような内容や参考になるサイトを紹介する、受講生同士で相談しながら考える時間を持つ、などのアプローチはできると思います。ここにコーチングの要素があるかどうかと言われると、何とも言えないというのが私の率直な想いです。なぜなら、そういった直接答えを簡単に教えず、考えさせる時間を大切にするというアプローチは今までずっと教える立場でも実践してきたからです。
余談ですが『教えない授業』とか言われている塾やスクールもあるかもしれませんが、それはすなわち『考えさせる授業』であり、上記の内容とかなり近いものがあると思います。個人的には『教えない授業』というワードがインパクトが強すぎて、誤解を招く表現なのであまり好きではありませんが。
もう少しコーチングの本質に迫り考えてみると、結局のところコーチングというのは一つの手法というかコミュニケーションにおけるアプローチの一つであり、それを(英語)教育という枠の中に応用していくことができるということです。
英語教育におけるコーチングを用いた具体的なアプローチ方法を考えてみます。以下のような質問を問いかけることで、期待される効果があります。
・なぜ英語を勉強したいのか。その先に待っていることは何か。
→学習がマンネリ化してきたタイミングで、学習の目的を改めて考えてみることで頑張る意欲も生まれるかもしれません。
・自分に変えられる習慣は何か。
→いまいち学習に身が入らないという場面で、この質問により生活を見返すことになり、生活の中に学習を取り入れ、結果的に英語の勉強に費やす時間が増えることにつながるかもしれません。取り組む姿勢に変化を起こすことにつながるかもしれません。
・先週一週間で、勉強していて自分にとっての発見は何か。
ただ作業として勉強するのではなく、自分の変化を発見することで、正確に言えば発見しようという視点を持ち、変化させようとして学習に取り組むことでより具体的に自分の成長を評価できます。それが成長実感につながり、モチベーションにつながるかもしれません。
・来週の自分の理想の状態を言語化するとどんな状態か。
いまいち成長実感がない場合やただなんとなく勉強していたりする場面で、理想の状態を言語化してみることで、そのために何をすべきかという部分に視野を向けることができます。結果的に行動変容につながるかもしれません。
ほんの一例ですが、英語コーチングスクールのクラスでは、こういった直接英語の内容そのものとは関係ない内省、振り返りに時間を使っています。私の場合は30分から長いときは1時間近く使うときもあります。もちろん、対話は生ものですので、受講生の状態によります。
いずれにしにても、人間はなかなか自分で自分のことを振り返って見てみるということができないものです。ただ勉強をし続けるだけでは、目標はあるものの、たどり着く道筋や進んだ実感が見えないので、真っ暗なトンネルを遥か先にある光を目指して不安げに進んでいくようなもの。やはりそれでは不安感もありますし、なにより自分の現在地が見えません。だからこそ、足元を照らし、自分が進んできた道のりを照らし、次からの進み方を一緒に考えてみる時間は大切だと思います。今はそう思えるようになりました。
完全に想像ではありますが、数ある英語コーチングスクールの中でこういったコーチングのアプローチをしているのは私が勤めている会社だけだと感じています。とはいっても、あくまで英語コーチングスクールですので、時にはTOEICにおいての目の動かし方などいわゆるテクニックと言われる内容や、実際に問題を解いて解説する実践練習もします。その場合はコーチングというより、ティーチングですね。
先述した通りあくまでコーチングは教育におけるアプローチとしての一つだということです。ですが、非常にパワフルだと思います。
特に質問は相手の思考をハックすることができます。なぜなら、人間は質問されたらその答えを考えざるを得ないからです。だからこそ、相手にとって気づきとなるような質問ができれば、自分ひとりではたどり着かないような境地にたどり着いてもらうことができます。
いわゆる英語コーチングスクールはいろいろ違いはあるでしょうが、どちらかというと学習マネジメントに特化しており、完全マンツーマンで教材やカリキュラムのカスタマイズをし、毎日学習成果をLINEで報告。叱咤激励ありながらやりとげる。筋トレでいうとライザップに近い。そんなイメージです。さらに、多くの英語コーチングスクールでは、英語を教えるレッスンそのものを提供し、それをサポートするコンサルティングという2つのサポート体制をとっています。なので、厳密にいうとコーチという存在はおらず、ティーチングと日本人によるコンサルティングの2重のサポート体制のことを英語コーチングスクールと呼んでいるようですね。
英語コーチングと言いながらも、実際にはスクールによって言葉の定義が非常にあいまいで、結果的にわかりにくくしているのは我々含め業界全体の責任かと思います。
その証拠に、入会前の問い合わせで行うカウンセリングでは、「ここで勉強すればやらざるを得ないくらい追い込んでくれるんでしょう?」的なことを言われることも少なくないです。
こういった方には追い込む、追い込まないということが問題ではなく、やるのはあなたですよ、ということを少なくとも私は伝えています。やりきる気持ちがないのに膨大な量の宿題を出されても、お互いにとって不幸な選択になってしまうからです。もちろんやり切れるような環境はしっかり整えているつもりです。それでも、結局主役は自分です。自分で何か変えようと思わなかったら、そこに打ち込む覚悟がなければ、ときには何かを諦める決心をしなければやはり成果には結びつかないと私は考えています。
仮にぎちぎちに追い込まれて学習した人間がリバウンドしてしまう状態も容易に想像がつくと思います。
改めて、英語コーチングという言葉が非常に曖昧でわかりにくく、結果的にコーチングと言いながらもマネジメントの意味で使われていることが多いという話です。比較的できて新しい言葉ですし、いろいろな定義があってしかるべきとも思いますが、それでもその意味しているところがはっきり伝わらないというのは私たち側に課題がありそうです。
効率的な学習って何?
最近効率化とか生産性みたいな言葉を使う方が異常に多い気がしています。個人的にはあまり好きではないのですが、そもそも効率的な学習とは何でしょうか。この言葉も定義がはっきりしているわけではないので、改めて言葉の意味を考えてみたいと思います。
効率的な学習があるということは、すなわち効率的ではない学習があるということ。これは結構わかりやすいですね。
例えば、英語学習を始めたばかりの方がいきなりTEDを見てシャドーイングをする、英字新聞にチャレンジするというのはかなり厳しいと思います。
会議で堂々と意見が言えるようになりたい、という目標に対して毎日25分のオンライン英会話をする、というのも目標に対しての具体的な対策になっていない可能性があります。オンライン英会話は使い方次第ですね。
このように、巷に無限にある学習方法を試す上で、自分の目標やレベルにあった内容を選ぶこと。至極当たり前ですが、これが効率的な学習かと私は思っています。まあ当たり前ですよね。
ここで学習者目線での課題としては、自分の目標にあった課題、すなわち目標のために必要な要素を自分で分解して考え、それを現状と照らし、足りないものを補うための練習をする。そんな行為が非常に難しく、ある程度高い学習リテラシーが必要だということです。
会議で堂々と意見を言えるようになりたい、という目標を例にとって考えてみます。
まず考えるべきは、堂々と意見を言うために必要なものは何か。
そして現状はどうか。
意見はしっかり持っていて、それを発言することができないのであれば、とっさに文章化できないという課題かと思いきや、会議のスピード感や緊張感などが原因の可能性もあります。
そもそも意見が持てない場合、内容についていけないのか、前提となる背景知識が不足しているのか、などいろいろな要因がここには絡んできています。
仮に意見があってもとっさに発言できないのであれば、文章化に課題があるので、この場合は瞬間英作文的に文を作る練習や、話す上で便利な文の型を覚えると効果があります。専門と全く関連がないオンライン上のトピックをオンライン英会話で扱うことに意味がないとは言いませんが、実際の自分の場面にドンピシャな場面は教材にはありません。なので、自分で会議の場面を改めて文字化し、どんな場面で意見が言えなかったのか、今言うとしたらどうか、など自分にとっての振り返りが必要です。
長くなりましたが、こういった対策を練っていけば、つまり一つ一つの目標に対して現状と目標のGAPを考え、それを埋めていくことができれば目標達成につながると思います。Can-doを増やすというイメージに近いですね。
そしてこれで終わりではなく、実践した内容の評価と必要に応じて修正していくことも欠かせません。
目標達成のための勉強をする。これがいわゆる効率的な勉強だと思います。
果たしてこれら一連の内容を自分1人でできるか。もちろんできる方もいるでしょうが、多くの学習者の方々はできないと思います。だからこそ、英語コーチングスクールでは目標を設定する、というプロセスを非常に大切にしています。これは英語コーチがすべて主導で決めていけることではありません。なぜなら、各々が感じている課題、状況はその個人にしかわからないからです。あくまで、それってこういうことですか?と質問しながら形あるものにしていく。学習者が自分自身に向き合って振り返る機会がなければ、そもそも英語コーチングは成立しません。
ここで注意したいのは、それぞれの課題にドンピシャな魔法の教材は存在しないということです。さらに言えば、完全カスタマイズである必要もないです。なぜなら、ある程度の部分は目標達成に必要なプロセスは他の目標の方々とも共通しているからです。
先ほどの会議で堂々と意見を言う、という目標を改めて例にとると、この方に対してのアプローチである瞬間英作文と英語の型を覚えるというものは、資格試験でいうとTOEFLやIELTSのスピーキングでも十分有効なアプローチです。もちろん内容やレベル、使う語彙は多少違いはありますが、根本的なアプローチは変わりません。
結局は、応用できる一般的なアプローチをやりながら、それ以外で自分に必要な力をしっかり分析、実行、評価、修正していかなければあまり効果がでないということです。完全カスタマイズの落とし穴はここにあります。流されるがままに学習をしてきた方、ここで主体的な学習に移ることができれば、今後の学習にも大きな変化がみられると思います。
ただし、目標にあっているかどうか、すなわち効率的(生産性が高い)かどうかは、自分で試しながら答えを出していくものでもあります。この言葉にひっぱられて、まるで英語を習得するのに便利な魔法があるように感じ、〇〇をすれば△△ができるようになる!と安易に信じている方が多いため、私はあまり効率とか生産性という言葉を使うのが好きではありません。可能な限り選択肢は示すけども、その成果を感じるまでやりきらない限りそれはわからない。さらに言えば、そこまでやりこんだのであれば、結果的にその学習は何かしらの成果をもたらすはずなので、効率的であると言えるのではないか。そんなことも思います。
まとめると、考えて勉強しよう。そして、勉強しながらもっと考えましょう。そういうことです。
英語コーチングは世界でも流行ってる?
これは結論から言うと、日本だけの形態のようです。
あくまで私が調べてみた限りですし、何より同じような形態でも名称が違うだけかもしれませんが。
現在コーチングを勉強しているのはCoach Uというアメリカに本部があるスクールで、世界中のプロコーチを目指す方が勉強するスクールです。そこで、英語コーチというワードを出すと、必ずその説明が必要になります。なので、世界で一般的に認知されている外国語学習方法ではないと思います。
これもまた面白く、日本人の国民性というか一つの文化のように感じています。というのも、そもそも英語コーチングは徹底的に学習者が学習にコミットできるよう、コーチングというアプローチを活用しながらサポートするというものです。すなわち、自分でしっかり学習に向き合える方、仮説検証し前進していける方、自己管理ができる方にとってはあまり有効的な方法ではありません。むしろそういった方々にはピンポイントに疑問が解消できるティーチングのほうが有効的です。
ちなみに私個人も、英語コーチングという形態で学ぶ必要のない人間です。
とはいっても、なかなかそうでない人間も多いわけです。そして、そこに確かな需要が存在する。英会話スクールよりも圧倒的に高い金額を払ってでもそのサービスを受けたい。まさに日本だからこそ成り立つビジネスなのかもしれません。
一応補足しておくと、私は教育はビジネスであるべきだと思っていますので、ビジネスという言葉を使用するのに躊躇はありません。
それでも、外国語習得の原理原則を堂々と謳い、やるのはあなたですよ!と堂々と言える。これは今でも最先端の習得メソッドだと私は思っています。
ティーチング VS コーチング
どちらも経験している私の結論は、どっちも大切。そして、ティーチングとしてのアプローチとコーチングとしてのアプローチははっきり分かれているものではなく、グラデーションなので明確にすみわけができない部分もあります。そもそも論として、二者択一である必要もないと思っています。
この考え方もまた、英語コーチングってなんやねん?という疑問を生じさせている原因かと思いますが、ご容赦ください。
言葉としては個人的にはどっちでもよく、私は自分は英語教育者でありたいと思っています。あえて、教師、講師、コーチなど言葉はぶっちゃけどうでもいいかな、というのが本音です。英語教育の本質的な目的である学習者の目標達成に貢献できるのであれば。
教育者として自分がやりたいことは冒頭に言った通り、学習者の目標達成をサポートすることです。そのためにはティーチングとしてのアプローチが必要な場合もあるでしょうし、ときにはコーチング的に学習を振り返ってもらう内省の時間も必要です。
実際に今勤務している英語コーチングスクールでもいろいろなアプローチの使い分けの必要性は浸透しています。人間相手のビジネスなので、一辺倒のやり方は当然通用せず、ときにはカウンセリングのようにじっくり話を聞くこともありますし、悩み解決のためのコンサルティング的な時間も生まれます。それもまた教育の一つのアプローチです。
つらつらと自分語り①
教えるという立場、つまりティーチングという業界に私は長い間いましたが、ぶっちゃけ当時やっていたことは今の英語コーチングと重なる部分も多かったです。それでも一番の違いは、主役は受講生だと考えられるようになったことです。
自分にとっての教育のテーマは2つあり、1つが自律、もう1つが循環です。
自律はよく言われますが、学習者の教師(英語コーチ含む)からの自律はもちろん、教師も学習者から自律すべきだと考えています。
教師という仕事は、学習者から感謝されることが多く、どうしても立場としては学習者よりも上にあると客観的には見えてしまいます。完全に対応な立場というのは現実的に難しいですね。
そこで生じる問題としては、学習者側の教師への依存に加えて、教師も学習者にある意味で依存してしまうことです。すなわち、教師自身のための授業になったり、やっぱり自分がいないとだめだな、と思ってしまったりすることです。
教師はとても居心地がいい立場ではあるものの、先生がいないとできない、とか、先生辞めないで、と学習者に言われたら私は教師として自分が失格だなと感じるようになりました。学習者は教師からの自律ができていないし、そこに教師自身が居心地の良さを感じたら、教師自身が学習者から自律できていないからです。
今まで大量の教師を見てきましたが、こういう教師は本当に多かった。そしてこれはそんな教師が辞める場合によく見られます。そういう教師は自分が非劇のヒロインになりたがるというか、学習者にとっての自分の存在の必要性を感じようとします。辞めるときはその人間の本質が見えますね。
私にとって一番うれしい言葉は、これからもがんばります。と言ってもらえること。これだけで十分ですね。主役は学習者である彼ら自身ですし、一生教師が彼らをサポートすることなんてできません。縁あって一緒にいられる限られた時間でサポートを全力でし、あとはそれを今後にいかしてもらう。乱暴に表現すると、自分の人生なんだから、常に主役は学習者である君やで。ほなまた!そんな考えが自分にはあります。
もう一つのテーマは循環です。これも1つ目と重なる部分があるんですが、教育は普遍的なものはなく、必ず循環します。学習者も年度、タームで変わりますし、教師も入れ替わります。教材や教育アプローチそのものも時代に応じて変わっていくこともあるでしょう。アップデートともとれるのですが、すべてを変えていく必要はなく、より高い次元で今までやってきたことを繰り返していく。だからこそ私は循環という言葉が適切だと思っています。
自律できていない場合、この循環に対応できません。なので、自律と循環はセットだと思います。教育業界の課題として感じるのは、私は教育者側のマインドセットによるところが大きいと思っています。
というのも、循環させていくというのはただ繰り返すという意味ではなく、必要に応じてアップデートが要求されます。その際に、既存のやり方や見たくない結果を見ることも時には必要となります。教師自身の自己研鑽も欠かせないでしょう。教育を作業的に循環させてしまうと、教師側はある意味で楽ではあるものの、間違いなく提供できる教育の価値は上がりません。ときには間違った選択をしてしまうこともあるでしょう。その際に、学習者に対して素直に謝ることも必要だと思います。教師側が成長マインドセットを持っていなければ、教育を循環させていくことができないと思います。
教師ではありませんが、英語コーチとして勤務している今の自分はここは非常に恵まれています。なぜなら、自分よりもはるかに社会的ステータスの高い弁護士や医者、経営者の方々がスクールに通ってくださり、忙しい中英語の学習に全力で打ち込んでいる姿を見れるのです。そこに、コーチとして前に立つわけです。
自分も1人の学習者として負けられないという気持ちもありますし、私自身が研鑽せねば、という刺激をもらえます。だからこそ、全力でそういった皆様の応援ができ、目標達成のサポートができると思っています。
自分の人生なんだから、自分が主役だ。そんなことを私も体感できるんです。非常に環境に恵まれているなと日々実感しています。
長々と語りましたが、教師、コーチという肩書はさておき、教育者として自分が大切にしている2つの考え方を共有しました。
さらにその先は?
31歳の今、自分が思い描いているビジョンはまだ明確ではないものの、しっかりと持っています。
とは言ったものの、5年前の自分は今の自分を想像できていませんでしたし、ビジョンはあくまでビジョンでしかなく、今この瞬間を全力で生きていれば、気が付いたら全然違う道にいるということもあり得るでしょう。なので、あくまで現時点で自分が考えていることという意味でまとめておきます。この記事を5年後の自分が見たときにどう思うか。なかなか楽しみです。
英語教育のフルパッケージを発展途上国に展開する
これが今私が考えている将来のビジョンです。
実は昔、発展途上国に英語のスクールを作りたいと思っていました。それも、今までの経験の中でまた変わっていった一つのビジョンでした。
日本ではない国で、日本人である自分が英語教育の仕事をするうえで、肩書として必要だと思い、TESOLの修士号も修了しました。それでもその後ベトナムで勤務したSun*という会社で衝撃を受けました。それは、ベトナムのトップ理系大学の日本語授業をSun*が担当し、学生には無償で(厳密には大学の授業料のみで)日本語教育とIT日本語教育を提供し、日本就職までサポートするというものです。そして、日本のIT企業による採用会を実施し、採用されれば採用企業からフィーをもらう。実際には黒字化はなかなか難しいようですが、それでもこのモデルは本当に世界を変えるものだと私は感動しました。
ここで衝撃を受けたポイントは2点あり、1点目が学生から直接費用をもらっていないという点です。2点目が現地の大学と連携することで教育の提供ができるという点です。
これはわたしにとって本当に衝撃でした。教育の職に就いている人間は少なからずアントレプレナーシップ(起業家精神)が強く、自分のスクールを作りたい、独立したいと思っている人間も少なくないと思います。実際、海外でも学校を作ること自体は費用があればそこまで非現実的ではないと思います。一番難しいのはそれを維持すること。自分が作ったスクールで夢を与え、その夢を1年などの短期間で奪うことになってしまえば、やっていることは±0ですが、結果は大きく-です。でも、自分でスクールを作らなくても、既存のスクール(大学)などと連携すれば、教育の機会提供はできるのではないか。そんなことを考えたため、カリキュラム化した英語教育のフルパッケージをデザインし、提供したいというのが今のビジョンです。
もちろんこれも収益化がしっかりできるモデルでなければ、維持できず循環もさせられません。就職サポートなのかいろいろ考えることはありますが、私の足りない頭では無理なので、いっしょにチャレンジするパートナーがいればいいや、と安易に考えてます。ではその英語教育のフルパッケージには何が含まれているのか。これを3つの柱でデザインしたいと思っており、それがSLA(第二言語習得論)、テクノロジー、コーチングです。
SLAはカリキュラムデザインにおいて大きな意味を持ちます。学習の順序や習得のための練習方法など、年齢や環境に応じてデザインする際に必要になる知見です。テクノロジーの活用もカリキュラム内の一環でできればいいと思っています。今は途上国でもスマホを持っていない国はあまりないと自分で訪れてみて感じています。(ラオスやミャンマー、カンボジアなど)オンライン英会話との連携なども物理的に不可能ではないですし、より英語で○○する機会を増やす、というところには間違いなく貢献できるものです。もともと自分はテクノロジー関係のことには疎かったのですが、Sun*がIT企業ということで、エンジニアの方々と交流することもあり、無限の可能性を感じたのも今の私の原動力になっています。実際に自分でもプログラミングを少しだけですが勉強してみました。
そして最後がコーチング。これは教育者側の育成に必要な要素です。ただ教えるのではなく、相手に応じてアプローチ方法を変える。その一つがコーチングであり、それが学習者の学びを加速させる。コーチングはそれをする自分自身にとっても大きな気づきがあるように感じます。要するに相手の変化を見ていくわけなので、相手が変化していくのであれば、それに合わせて自然と自分も変わるのでは。つまりは、実はコーチングをしている自分自身も成長している。うまく言語化できないのですが、直観的にそんな思いです。
つらつらと自分語り②
改めて、自分が思い描いているビジョンに対しての現状を考えてみました。
不思議な事に、今の環境ではやりたかったことがすべてできる環境にあり、自分は本当に運がいいと思っています。
英語教育の一つ目の柱であるSLAについて、今の職場ではとある大学の教授と連携し、共同研究が動き出しています。厳密にいうと、これはSLAの領域ではない部分もありますが、外国語学習に貢献する一つの要因として、間違いなく大きな価値を持ちます。会社としてもそうですし、この研究に自分が携われているということも非常に大きな意味を持ちます。自分が大学院を出ていなければ、あるいはフリーランスなど個人で働いている身であればまずこんなチャンスを手にすることはなかった。約2年くらいかかる大きな研究ですが、これはしっかり見届け、自分が英語教育に貢献した一つの証として世に残したいと思います。加えて、一応社内でもSLAに関係するワークショップをする機会もあります。TESOLにおいては、SLAというのはほんの一つの領域にすぎないので、わたしも本を読み必死に勉強している身なのですが、改めて資料を作ったり説明を考えるということが、自分の理解につながりますし、自分自身に問いを作ることができます。
続いてテクノロジーに関して、こちらは個人的にプログラミングスクールで3か月くらいで超簡単なWebアプリを作った程度で、まあど素人です。自分自身が技術者になることは無理ですし、何よりそれは餅は餅屋でいいと思っています。ただ、私が知りたかったのは実際に手を動かしてみることでわかるテクノロジーの可能性のようなもの。仕組みがなんとなくわかり、改めて出会った元エンジニアの方々の思考がかろうじて理解できたような気がしました。設計の大切さはもちろん、進行しながら適宜動作確認をし、修正をしていく。この考え方は何にでも応用できるものだと思います。なぜか急にスライドなどの資料を作るのもうまくなった気がします。気のせいかもしれないけど・・・。
ちなみに今社内では学習の記録などをとっていくWebアプリのローンチに関わらせてもらえています。実際に作成を担当してくださっているIT企業の方ともMTGをしながら、自分が学んだことを少しでも使える環境にあり、不思議とこれも縁を感じています。
最後はコーチング。コーチングはおそらく自分にとっての英語学習と同様に一生終わりがない領域だろうと思っています。なので、そういう意味では生涯学習なのですが、ひとまず今はCoach Uというスクールでちょっと勉強をしています。ただし、このスクールではコーチングの勉強というよりは、ICFという国際コーチ連盟のACCという認定がほしくて、そのための勉強という位置づけに近いです。コーチングをもとにパッケージをデザインするのであれば、コーチングの肩書は多少なりともあるといいかなという狙いです。私は肩書などをけっこう大切にする人間です。
このスクールはアメリカに本部があるため、アメリカ人の受講生を中心に当然英語でのコミュニケーションとなります。日本語で学んだほうが圧倒的に効率がいいのですが、これもいろいろ悩んだ末、このスクールになりました。
日本で有名どころのコーチングスクールで同様にACCの条件を満たせるスクールの体験をしましたが、どう考えても胡散臭い。そんなイメージを払拭できませんでした。Coach Uが違うのかというと、そこは同じなんですが、英語で学ぶということが、改めて英語学習者としていい機会だと思いましたし、何より英語でできることは日本語でもできるはずだと思いました。その逆はいつも正しいわけではありませんが。実際にCoach Uで学んでみて、ぶっちゃけ面倒くさいと感じることばかりなんですが、それでもアメリカはもちろんシンガポールやフィリピン、南米圏の方もおり、コーチングの認知度や英語教育に関してちょっと聞けたりできています。これも大きな収穫ですね。
そんなこんなで、なんと3つの柱すべてに関して今の職場で関わることができています。今後はいろいろと対外的に発信もやっていけるようで、改めて英語教育者としての自分の価値をあげることにもつながっていきそうです。
そんな自分が最近興味があるのはMPA。よく言われるMBAは経営学ですが、MPAは公共政策に関して学ぶ領域です。改めて大学院進学を考えるという選択肢は働き始めたときはまったくなかったんですが、最近ちょっと考えがかわってきました。創業者がHKSのMPA出身であり、同じく受講生の方でも学ばれた方がいます。つい先月まで担当していた受講生の方でもこちらを目指している方がいました。
私がやりたい途上国で英語教育のフルパッケージを展開して、英語教育の発展に貢献するという目標はこのMPAに近い感じがしています。はっきりとMPAの中身を調べきれていないので、けっこう空想の話ですが、公共政策におけるリーダー的ポジションを目指す部分が自分にはあると思います。何より、そんな大学院で学べば私よりはるかに頭がよく、経営の知識を持った人間や、テクノロジーに精通した人間、教育に熱い人間などに出会えるのではと思っています。そんな人間たちとパートナーを組み、仕事ができれば最高、くらいの軽いノリで考えています。これはまだ数年先の話なので、これからじっくり向き合いながら自分の中で答えを出していくと思います。
終わりに
気付いたらここまで15000字を超えていました笑
改めて自分がどういう気持ちで今英語教育に向き合っているのか。過去から現在、そして未来までをウソ偽りない気持ちでまとめることができました。
今後どうなっていくのかはまったくわかりませんし、今というこの瞬間で全力でダンスしている自分ですので、1年後全く違う野心を持っているかもしれません。それでも、こうして今の気持ちを形に残すことも自分の人生かと。とりあえず、目先のことにまた全力でとりかかるとします。
ここまでの短編小説を読んでくださった皆様ありがとうございます!ぜひスキやコメントくださいませ!
それでは!